ハートのチョコと初恋と

「ハートのチョコと初恋と」

私が小学校6年生だった頃、好きな男の子がいた。彼は身長も高くスポーツマン、阿部寛を少しあっさり仕上げたような目鼻立ちが整っていた男子だった。
しかも少しシャイでしゃしゃりでないところもなんとなく影を背負っている感があって気になる存在だったのだ。

もちろん、周りの女子からも人気があった。
お互いを女子・男子と意識する年頃に、気軽に話しかけられる勇気もないのに、無意識に彼を目線で追っていたり。
「彼のこと、好きなんでしょ?」なんて友達に勘付かれても「いや、別にそんなことないし。」とその場をしのいでいた。

あぁ、、、なんて純粋な乙女だったのかしら(笑)
もういよいよ小学校生活も残りわずかという2月。世の中はバレンタインデーで盛り上がっていた。

もちろんクラスの女子たちは「誰にあげる?」「どのタイミングであげる?」なんてお互いがお互いをけん制しつつ作戦会議。
純粋な乙女だった(自分で言う。)私も、このタイミングに思いを伝えようと、バレンタインデーというお菓子メーカーの戦略にありがたく便乗し、どんなチョコをあげようかと胸が高まっていた。

ハートのチョコでは直球すぎるし、自分も食べたことがないようなハイブランドなチョコなんて男子にその価値がわかるのかしら?
かといって手作りなんてハードル高すぎで手編みのマフラーのように怨念を感じられても困るわけで。この微妙なさじ加減に悩み葛藤し、踏み込みすぎずやんわりとかもし出す愛を表現したチョコレート・・・。私にとってそれは、ゾウやリス、パンダなどの動物型のチョコレートだった。

動物型っていうそこはかとなく女子っぽさを出しているところもなかなかの策士ではないかと悦に入ったりしたものだ。
あぁ、いよいよ明日はバレンタイン。自分の気持ちをチョコレートに託して伝えるなんてこんなドキドキ今まであっただろうか。

渡すときどんな言葉を添えるのか、表情は?笑顔?真顔?目、見る?色んなことを想像していたからなのか、なんと私はバレンタイン当日高熱を出し学校を休まざるをえなくなってしまった。

今ごろクラスの女子達は好きな男子にチョコレートをはにかみながら渡しているのかと思うと、悔しさと情けなさとうらやましさが入り混じった感情で、ますます熱が上がりそうになった。と同時に、渡すはずだったチョコレートが入ったランドセルを眺めながら、これをどうしたらいいのか考えた。

渡すタイミングをすっかり逃したチョコレートになんの価値もないだろうから処分すべきか。それとも明日渡すべきか。その2択しかなかったが、私が選択したのは後者だった。しかし翌日学校へ行って渡すことを決めたにも関わらず、またしても渡すタイミングを逃してしまったのである。

バレンタインデーが終わった学校内はすっかりいつもどおりの日常が取り戻されていて、フワフワとした浮ついた雰囲気など微塵もなかったのだ。
不可抗力とはいえ、翌日にバレンタインのチョコレートを持ってきた私は、完全に「今さら感」ハンパなかった。
いつまで経っても想いが伝わらない動物型のチョコレート。箱の中のリスやパンダもかわいそうである。

あぁ結局自分はこういう運命だったのだとあきらめかけたとき、なんと彼の妹と放課後ばったり出くわした。2つ下の彼の妹とは共通の友達を介して仲良くしていて、彼女もまた私を慕ってくれていた。そんな妹と偶然会って、「もうここしかない!」と思った私は、「お兄ちゃんに渡してほしい」とキラキラのリボンと赤い包装紙に包まれた、見るからにバレンタインチョコレートとわかる箱を妹に手渡したのだ。よし!とりあえず任務完了!

本人に直接渡せなかったし、思いを伝えられなかったのは不本意ではあるが、妹が何かしらのキューピット役になってくれることを願うばかりだった。

その後、その彼からはなんのリアクションもなく(冷静沈着なタイプだし、当たり前)、あの時意を決して妹に授けたチョコレートが本当に本人に渡ったのかも確認できなかったのだが、ある日その妹が「お兄ちゃん、食べないでとってあるよ」という報告が。

「食べないでとってある・・・」食べないってどういうこと?とってあるって?頭の中クエスチョンでいっぱいになったが、その真意は今もナゾのまま。しかし翌月のホワイトデーには律儀な彼らしくハンカチとマシュマロがセットになったお返しがあったのだ。

明らかに母親が選んだものだろうとわかるようなデザインではあったが、少なくとも1日遅れの間抜けなチョコレートに嫌悪感はなかったんだな。

このハート型のラスクが出てくると、いつもこの淡くほろ苦い初恋の思い出がよみがえってくる。