心落ち着かない山形の「初市」

新年明けましておめでとうございます。

昨年スタートしたこのコラムですが、今年2017年も山形の様々な文化や歴史を紹介しながら、シベールの美味しい情報もお届けしますのでどうぞよろしくお願いします。

さて、昨年末はギリギリまで仕事がありましたが比較的ゆっくりと年末年始を過ごした伊藤家。
子どもの新学期も始まり、「あれがない!」「これやってない!」という前日のバタバタ準備も、もはやこの時期の風物詩だが、わたしもしっかり者というよりはうっかり者のほうがしっくりとくるので、子どもに大きなことは言えないのがオチ。何かひとつ忘れ物をするツメの甘さは折り紙つきである。

今年こそは何事も用意周到に慌てずゆっくりと思い学業に励もうと心に誓うのだが、
そんな矢先にまたしても心落ち着かない山形の新春イベント「初市」がやってくる。
宿題は忘れても初市に行く予定は忘れない。高校時代は学校帰りに友達と寄って少しばかりのテーマパーク感を楽しんだものだ。まさにお正月がもう一度来たかのような高揚感である。

この初市は昔から市民に親しまれている年中行事だのだが、野菜や初あめ、そして初市の象徴ともいうべき華やかな「だんご木」などの縁起物が町の中心に立ち並ぶのだ。

山形県内各地で開催されることが多いのだが、とりわけ毎年1月10日に開催される山形市の初市は県内外から多くのお客さんで賑わう。その歴史は古く、最上義光(もがみよしあき)公の時代から400年以上続く伝統行事だ。当時山形には定期の市(いち)がたつ「市日町」というものがあり、それらの市の中心として十日町に「市神様」(いちがみさま)が祀られたというのだ。

毎年1月10日その「市神祭り」として十日町から七日町にかけて、商業の「株」を象徴しての「かぶ」や長寿を表す「白ひげ」などの野菜や先述した縁起物が売られるのも特徴だ。

先日、お正月に地域で開催する「餅つき」行事が減少している。というのをテレビでやっていた。
ノロウイルスなどの食中毒が懸念されているのが主な理由らしい。しかし世知辛い世の中だから、苦情がくるからという理由で伝統行事を廃止してしまっていいのだろうか。

新年につく餅は、神様へのお供えという神聖な存在だし、その餅を正月過ぎに砕く「鏡開き」だが、砕いた餅を配ったのが「お年玉」の起源ともいわれている。そいういう由来や大切な意味を知っていれば、単に「やめる」という選択はなかったかもしれない。

山形にはこういった伝統行事や伝統文化が長く息づき継承されているものが多い。少子高齢化で伝承していく難しさはどこも一緒だろうが、子どもを持つ親としてもこういった文化を伝える場所や機会がなくなるのもさびしい。
餅は食べるもの。お年玉はお金をもらうもの。といった断片的な理解では受け継がれるべきものも続いていかないような気がする。

長く続いているものや愛されているものには、それなりの理由と歴史と文化とこだわりが礎にある。
シベールのラスクも然りだ。シベールのラスクには、それに合ったフランスパンが作られている。
フランスパンの製法には伝統的なものから革新的なものまで、そしてその土地その土地によってたくさんあるのだが、シベールのフランスパンのこだわりは一番適した小麦粉と山形の水を使い、温度や湿度によって発酵をコントロールしていること。

そして焼く前にに「クープ」といわれる斜めの切り込みを入れることだ。また焼きあがってラスク用にカットすると表面に「眼」といわれる大小の気泡が現れる。実はこの「眼」がおいしくフランスパンが焼きあがった証でもあり、十分に発酵した上出来のバゲットの証でもあるのだ。

食べるとサクサクとした食感と舌ざわりの良さ、そしてフワッと鼻に抜ける小麦の香りは、シベールのこだわりのパン作りとが長く愛され続けた味を証明しているものだ。

「山形のおみやげ」「山形のお菓子」と言えば「シベールのラスク」と言われるほど、先人たちが培ってきたこだわり製法と親しみのある味への追求は、多くのファンを虜にし、その味は未来へと向かっている。

大切なものを未来へ伝えるためにもどこから来たものなのか、どういう思いで伝えられてきたものなのか「過去」も知らなければならない。
文化も味も思いと歴史でつながっているのだから。