怪我してしまった母に日頃の感謝を思う

母親が、ベッドから落ちた。

いい年をして何をしてるんだ。と思ったが、よくよく話しを聞いてみると、夜中にトイレに起きようと思い、寝ぼけて腰から落ちてしまい、腰を強打したという。

 

立つのはもちろん、動くこともままならなく、父親に身体を拭いてもらっている母の姿を見て、「老老介護」ってこういう感じなんだな。と、そう遠くない未来を見ているようで、なんだか切ない気持ちにもなった。

2,3日安静にしていたら少しずつ動けるようにもなり、ようやくトイレに一人で行けるまでになったが、どうも心配だったのでしばらく実家へ帰って身の回りの世話や食事の準備などを手伝うことにした。

私も仕事をしているので、24時間つきっきりというわけにはいかなかったが、家族のご飯を作って母の寝室まで持っていく。洗濯物をまわしている間に片付けと部屋掃除、洗濯物を干してから仕事へ行く。帰りは自分の家へ寄り、洗濯物をしてから買物へ。

子どもを迎えに行って実家へ寄り、夜ご飯の仕度とお風呂の準備。と、まぁ1日24時間じゃ全然足りないよっ!ってくらい分刻みのスケジュール。まるで売れっ子アイドルだ。

食事を母の寝室に持っていくたびに「ありがとう、悪いわね」という母に、「自分の子が娘でよかったでしょ?」なんて憎まれ口をたたいてしまったり。
そんなタイトなスケジュールを、この面倒くさがりな私がよくやったな。と思ったりもした。

私の甲斐甲斐しい手伝いもあり(笑)母は1週間後、なんとか歩けるほどまに回復し、トイレやお風呂までは自分の足で行けるまでになった。「これ以上寝てばっかりもいられない」なんて言って洗濯をするあたりが母らしいと思いながら、やっと荷が降りた安心感もあった。

「あなたのお母さんってどんな人?」と聞かれると、正直あまりその手の話しには乗りたくないという気分になった時期が相当長くあった。今も少しあるかもしれない。料理が得意で、我慢強く、努力家でキレイ好き。といった絵に描いたような母親的な面もある。

毎日手の込んだお弁当を作ってくれて、仕事と子育てと家庭を両立させながら、キャリアアップをし続けてきた母親がパッと思い浮かぶのだが、同時に思い込みと決め付けが激しく、感情的。という一面が出てきて、自分の母親に対して好意的に捉えられない自分がいる。そして、そんな自分を「なんて親不孝ものなんだ」と自己否定してしまうのだ。

腰が痛くて動けないなら病院に行けばいいのに。こっちだって毎日来れるわけじゃないんだから。と言うと、「大したことないし、どうせ行っても湿布だけでしょ。」と頑として病院に行こうとしない。この決め付けの激しさにいくら反論や正論をぶつけても無駄だとわかっているので、私も父もそれなら気の済むようにしたらいい。というスタンスなのだ。

ところが、さらに1週間後激しい動きは出来ないものの日常生活に近いところまで回復してきて張り切って主婦業復帰を果たした母が、再び24時間ベッドでの生活を強いられることになってしまった。いつも尻にしかれている父もとうとう「明日病院に連れて行く」としびれをきらす始末。

そして病院から帰ってきた母は、なんと骨折をしていたというのだ。なんということだ。
病院の先生からもよく3週間近くもそのままでいましたね。と言われたそうだが、我慢強いにも程がある。
「どうせ湿布しかくれない」と、勝手に思い込んで病院にも行かずにいた母は、上半身がっちりとコルセットを巻かれて帰ってきたのだ。

子どもが0歳から6歳の間で、母親がどんな接し方をしたかで子どものコミュニケーション能力が決まってくるという。母親の思考パターンは良くも悪くも子どもに影響してしまうということが、自分も子どもを持って初めて感じたことだった。

そんな自分に嫌気がさしたり、母を恨んだりもしたが、今となっては、思い込みや決め付けが激しいのは母もきっと幼い頃私が計り知れない経験や体験をしてきたからなんだろうと思えるようになったし、ふとしたときに「あ、ここ母に似ている・・・」と俯瞰して自己判断できる自分もいる。

何がよくて何が悪いというジャッジではなく、こういう考え方もあるんだという視点で見れば、思いやりも生まれてくるのかもしれない。
その視点を持つには、もう少し私自身も人として・母としても修行が必要だ。

買い物で立ち寄ったシベールでかわいい商品を見つけた。「バウムクーヘン 苺」。
お母さんの色はピンク。優しさとおおらかさで包まれたピンクの愛。

母から生を受けたご縁にぴったりなまん丸いバームクーヘン、親子の関係もこんな角がない丸い穏やかな関係でいたいものだ。まもなく母の日。「なにもしなくていい。特に欲しいものなんかない」といつも言っている母だが、今年は不自由な身体だし、ゆっくりお茶なでもしてもらいたいから、特別な包装紙で愛と感謝をたっぷり包んで渡してあげよう。

どんな母親であろうと、子どもはやっぱりお母さんの笑顔がいちばん好きなのだ。