山形へ引っ越したブドウ棚と囲炉裏

森に囲まれた里山ソムリエな日々
里山でラスクを頂きながらあんなこと、こんなことおしゃべりする、そんな時間が届きますように。

山形の大粒ブドウとラスク

 

 シャインマスカット、ロザリオビアンコ、オリンピア、ピオーネ、ゴルビーなど、まるで大粒の宝石のようなブドウが初秋の畑に並んでいます。山形では、生産量日本一を誇るデラウェアのほか、大粒のブドウが育てられています。

 こちらへ引っ越してすぐに、東京の実家の母が入院することになり、私は小さな娘の幼稚園を休園し、東京に滞在しました。その時、山形の知人が東京へ送ってくれた大粒のデラウェア、母を心配する祖父母と一緒に食べたことを、季節が巡る度に思い出します。

 東京で暮らしていた頃、ぶどう狩に憧れていた私たち姉妹のために、父は小さな庭にブドウ棚を作りました。まだ青い小さなブドウに袋をかけて、ワクワクしながら、収穫の季節を楽しみに待っていました。収穫できるのは、わずかなブドウでしたが、家族みんなが笑顔になる瞬間でした。

 母を亡くし、父は私たちのいる山形へ引っ越した時も、そのブドウの木を自分の車に積んで引っ越して来ました。そして、山形でそのブドウの木を植えて、棚を作りました。

大雪の山形では、ブドウ棚は何度作っても毎年、潰れてしまいます。それでも毎年、棚を作りブドウに袋をかけ、ブドウがなると、うれしそうに、「ブドウが取れたぞ」と言って、今度は孫へ持って来ます。きっと東京での、あの頃を思い出しているのかもしれません。

 家族が一緒に暮らせる時間は永遠ではないけれど、果物とともに蘇るいろんなこと、季節が巡る度に、人はやさしい気持ちになるのかもしれませんね。
 ラスクもきっといろんな記憶を蘇らせてくれる優しいおやつ、果物に添えていただきます。

秋の野の花と月見 J. Kikuchi

 

 芋煮の季節を迎えた山形、里芋の葉っぱは大きく成長し、葉っぱの大きなお皿のように見えます。

 里山に暮らしていると、日本人が暮らしの中で活用して来たいろんな葉っぱに出会います。桑の葉、ヨモギの葉、ドクダミの葉は、種を蒔かず、肥料を施さなくても元気に育ち、乾燥すれば無農薬のお茶になります。

私の暮らす里山は、元武家の方々が多く暮らしているせいか、時間の座標軸が途切れていないような、そんなロマンを感じることがあります。

 囲炉裏のあるお宅に伺うと、客間には当然、テーブルや椅子はなく、火を囲んで、いい塩梅の距離感でお話をします。枝豆のあんこのおはぎを里芋の葉に包んで、色づいた柿の葉を取り皿に、山から頂いたクロモジの枝を添えてお持ちしました。すると、その家のご主人が囲炉裏の炭で沸いたお湯でお茶を入れてくれました。

 江戸の頃から続くその家のご主人は、囲炉裏の護り番のように、薪をくべたり、お茶を入れたり、囲炉裏を囲んでのコミュニケーションの指揮者のように感じます。時折、火花がぱちっと飛んでドキッとしたり、西に陽が沈むのを眺めながらの話題は、まろやかな湯加減と一緒で、心地よいものです。

 議論でなく、対話をする場所、自分の主張の正しさを証明するのでなく、共通の基盤を探す時間。里山に暮らし、町の会合に出かけても、そんなことをふと感じます。

 ラスクをいただきながら、まろやかな時間を楽しみたく、炭火はないけれど鉄瓶で沸かしたお茶を入れて楽しんでいます。